No.259
何十年にも渡ったラッセル夫妻のメガマウス実験において重大なデータを報告しないことに関するセルビー対ラッセル論争:起こったこと、現状およびいくつかの悪影響について
The Selby-Russel dispute regarding the non-reporting of critical data in the mega-mouse experiments of Drs William and Liane Russel that spanned many decades: What happened, current status, and some ramifications
P. B. Selby Dose-Response 2020; 18(1):1559325819900714.
論文の概要
これは、ウイリアム (ビル) およびライアン (リー)ラッセル夫妻のメガマウス実験に関する、彼らの弟子のセルビー(以下、私)による回顧録とも言える執筆物である。ラッセル夫妻のデータは、1972年の米国科学アカデミーBEIR(Biological Effects of Ionizing Radiation)I遺伝学委員会での、放射線の影響に関する直線閾値なし(linear no-threshold, LNT)モデルの見直しの際に多大な影響を与えたという。
私はビルの唯一のPhD学生であり、1966年から1995年まで、一時の中断を挟んでビルと親密な関係にあった。子孫を含めると300万匹に及ぶマウスを使った放射線の遺伝的影響に関する超巨大な実験は、ラッセル夫妻によって1940年代から行われてきた。種々の線量、線量率、分割方法や放射線の種類を用いて、放射線の遺伝的影響が調べられた。私はその実験に直接携わったのではないが、後に残されたデータを解析して極めて重大な誤りを発見したのである。
彼らの実験系では、放射線照射後に生まれた子孫のマウスの毛色、目の色、耳の形によって、遺伝子変異が起こったかどうかがわかるが、当初は、照射を受けた群では非照射の対照群に比べて、変異が大幅に増加したと報告されていた。私は1994年にラッセル夫妻の膨大なデータを新しいコンピュータに移すというとてつもなく大きな仕事を頼まれたが、その際に非照射の対照群に数多くの変異がありながら、これが報告されず変異の頻度に含まれていなかったことを発見した。この数多くの変異はクラスターと呼ばれるもので、外見上正常な仮面モザイク(masked mosaic)の親からは高頻度で発生する。対照群の変異のクラスターは当然、非照射の変異頻度に含まれるべきであるが、それがなされていなかったため、非照射群と照射群で変異頻度に大きな差が生じた。
このことを発見してから、私は特にリーにデータの修正と報告を求めたが、当初はなかなか応じなかった。最初は対照群の変異頻度に影響しないと言っていたが、議論を重ねるうちにリーも認めざるを得なくなった。しかし、私が発見したクラスターのすべてを認めたわけではなく、過去に発表したデータにおいて照射の影響をどれだけ過大評価していたかについては、私の推計より低く見積もったままであった。
こういった重大な発見に対して私と実験者(ラッセル夫妻)との間に解釈の違いがあるため、国際的な倫理調査委員会が立ち上げられ、エッセン大学のストレッファー教授もその一員となった。倫理調査委員会のメンバーの裁定には満足できない点があるが、私の主張もかなり理解されたと考えている。しかし、その後もビルとリーはいくつかのクラスターの存在と影響は認めたものの、私の主張への歩み寄りは十分とは言えず、この重大な事実を正確に報告しないまま2013年および2019年に逝去した。
2016年になって、私はエドワード・カラブリーズ教授に出会った。彼はもしラッセル夫妻が本当のことを報告していれば、LNT仮説がBEIR I委員会で再採用されることはなかっただろうという。それを聞き、ことの重大さを知った私は、この論文を執筆するとともに、より詳しい状況を記した本を執筆中である。
コメント
カラブリーズ教授によれば、セルビーの主張に基づけば、ラッセル夫妻のメガマウス実験の結果からは、雄マウスにおいて放射線の遺伝的影響には閾値があり、雌マウスでは低線量域でホルミシス効果が認められるということになるとのことである。こういった研究者間の対立においては、双方の主張を聞くべきであるが、どうもラッセル夫妻は逃げ回っている印象であり、部分的にセルビーの主張を認めるものの堂々とは反論していないようだ。なお倫理調査委員会のメンバーであったストレッファー教授にコメントを求めたところ、その委員会に参加したことはとても悲しい経験であったとの答えが返ってきた。実験の巨大さから、LNTモデルを見直すチャンスであったと思われるが、その後もその動きにはなっておらず残念である。今後も多くの研究者が研究を続け、いつか馬鹿げたLNTモデルが覆される時が来ることを願っている。
(生物部会・学術WG 芝本 雄太)