No.248
遺伝子変異情報に基づいた遺伝性乳がんの治療方針について:米国臨床腫瘍学会(ASCO)、米国放射線腫瘍学会(ASTRO)、外科腫瘍学会(SSO)によるガイドラインの策定
Management of Hereditary Breast Cancer: American Society of Clinical Oncology, American Society for Radiation Oncology, and Society of Surgical Oncology Guideline Tung NM et al. J Clin Oncol. 2020 Jun 20;38(18):2080-2106. doi: 10.1200/JCO.20.00299.
論文の概要
近年のがんゲノム医療の推進に伴い、乳がん感受性遺伝子の生殖細胞系列変異を有する乳がん患者がより多く発見されるようになり、臨床の現場では、遺伝子変異の情報を適切な治療選択に結びつけることが求められるようになっている。しかしながら、これまでに、乳がん感受性遺伝子の生殖細胞系列変異の保因者(キャリア)におけるがんの発症リスクと予防に焦点をあてたガイドラインは策定されてきたものの、実際にこれらの遺伝子の生殖細胞系列変異を有する保因者が乳がんを発症した場合に、手術療法、放射線療法、全身化学療法などの選択肢の中から、どれを選択するのが最適であるのかをまとめたガイドラインは存在しなかった。
現在までに、乳がんの易罹患性に関わる遺伝子がいくつか同定されている。その中でも、DNA二本鎖切断修復遺伝子BRCA1とBRCA2は、全ての乳がんの3~4%で変異を認め、遺伝性乳がんの半分近くの発症に関わる主要な「高浸透率乳がん感受性遺伝子」である(乳がん発症の生涯リスク50~90%)。他の高浸透率乳がん感受性遺伝子には、Li-Fraumeni症候群の原因遺伝子であるTP53、Cowden症候群の原因遺伝子であるPTEN、Peutz-Jeghers症候群の原因遺伝子であるSTK11、そして、遺伝性胃がんの原因遺伝子であるCDH1などがある。一方、BRCA1やBRCA2よりは乳がんの生涯リスクが低い「中浸透率乳がん感受性遺伝子」には、DNA二本鎖切断修復遺伝子PALB2(生涯リスク35~60%)、DNA損傷応答遺伝子ATM、CHEK2(生涯リスク25~30%)などがあり、全ての乳がんの4~6%で変異を認める。
今回、米国臨床腫瘍学会(ASCO)、米国放射線腫瘍学会(ASTRO)、外科腫瘍学会(SSO)の3学会では、専門家が結集して文献の体系的なレビューを行い、BRCA1/2,TP53, PALB2, CHEK2,ATMの生殖細胞系列変異を有する保因者が実際に乳がんを発生した場合の治療選択について、3学会合同の推奨事項をまとめたガイドラインを策定した。局所療法については48個の文献から、全身療法については6個のランダム化比較試験の結果から、推奨事項を導き出した。推奨の要約は下記の通り。
- BRCA1/2変異を有する初発の乳がんの患者においては、BRCA1/2変異がない散発性の初発乳がん患者と同等の局所制御が期待できる乳房温存療法(乳房温存手術+手術後の温存乳房への放射線療法)を考慮してよい。ただし、若年女性における対側乳がんの発症や新たな同側乳がんの発症など、ハイリスクな症例では、両側乳房切除術が推奨される。
- 中浸透率の遺伝子変異を有する初発の乳がんの患者でも乳房温存療法を考慮して良い。ただし、CHEK2 1100delC変異により対側乳がん発症のリスクが高まるとの報告もあり、治療決定にあたって考慮をする必要がある。
- BRCA1/2または中浸透率の遺伝子変異を有する乳がん患者において乳房切除術を行う際には、腫瘍の大きさ、局在、乳房の大きさなどの条件も踏まえた上で「乳頭温存」を行うことは適切である。
- BRCA1/2変異を有する乳がん患者において患側の乳房切除を行っている場合には、対側乳房の予防切除を行うことにより、対側乳がんの発症リスクを抑えることができる。一方、中浸透率の遺伝子変異を有する乳がん患者においては、対側乳房予防切除の意義は明らかではない。
- BRCA1/2変異を有する乳がん患者において、放射線治療によって毒性や対側乳がんの発症が増加するというエビデンスはない。ATM変異の保因者に発症した乳がんに対しても、放射線治療を控えるべきではない。一方、TP53変異の保因者に発症した乳がんにおいては、局所再発のリスクが高い例を除き、放射線治療は禁忌であり、乳房切除術が推奨される。
- BRCA1/2変異を有する進行乳がんの患者に対しては、タキサン系薬剤よりも白金製剤が推奨される。
- BRCA1/2変異、あるいは、他の遺伝子変異を有する乳がんの患者に対する術前・術後化学療法において、アントラサイクリンやタキサンをベースとした化学療法への白金製剤のルーチンな追加投与を支持するデータはない。
- BRCA1/2変異を有する進行乳がんの患者に対しては、非白金製剤による単剤化学療法よりもPARP阻害剤(オラパリブおよびタラゾパリブ)を用いた治療が推奨される。
- 早期がん、あるいは、中浸透率の遺伝子変異を有する例においては、PARP阻害薬の使用を推奨する十分なデータがない。
なお、より詳細な情報は、www.asco.org/breast-cancer-guidelinesで参照できる。
結論
BRCA1/2変異乳がん、ATM変異の保因者に発症した乳がんに対して放射線治療を行っても問題はないが、TP53変異の保因者に発症した乳がんに対して放射線治療を行うことは禁忌である。BRCA1/2変異乳がんに対しては、白金製剤やPARP阻害剤を用いた全身療法も推奨される。
コメント
- 乳がんの易罹患性に関わる遺伝子には、DNA損傷応答・修復タンパク質をコードしているものが多い。この論文は、それらの遺伝子の生殖細胞系列変異を有する患者に発症した乳がんにおける治療のあり方(手術療法の選択、放射線治療の可否、全身化学療法における薬剤選択)について、既報の臨床研究論文でのエビデンスにもとに策定された初めてのガイドラインを紹介したものである。
- この論文において、「放射線治療」という観点から最も重要な点は、TP53の生殖細胞系列変異を有する保因者において放射線治療が禁忌であるという点であろう。この遺伝子がコードするp53は、細胞周期の停止や細胞死を引き起こすDNA損傷応答の運命決定を担う機能を有し、がん抑制遺伝子産物でもある。TP53の生殖細胞系列のヘテロ接合性変異があるだけでも、放射線治療による二次発がんが生じることから、乳がんで放射線治療を検討する際には、その症例がTP53の生殖細胞系列変異を有する可能性がないか(=Li-Fraumeni症候群である可能性がないか)を一度は疑ってみる必要がある。
- 一方、DNA損傷応答のセンサー分子をコードするATM変異の保因者に発症した乳がんにおいては、放射線治療による毒性は問題とならないようである。ATM変異の保因者で乳がんが発症する場合、その乳がん組織ではATMはホモ変異となる場合もあるが、ヘテロ接合性変異のままである場合もある。遺伝的にATMにホモ変異を有する毛細血管拡張性運動失調症(AT: Ataxia telangiectasia)の患者は著しい放射線高感受性を呈することで知られるが、それがヘテロ接合型ATM変異である場合には、放射線による毒性は問題にはならないということが分かる。
- BRCA1/2はDNA二本鎖切断の主要な修復経路である相同組換え修復において重要な役割を果たすがん抑制遺伝子産物である。BRCA1/2変異乳がんにおいては、BRCA1もしくはBRCA2の正常アリルが完全に消失した結果、相同組換え修復能が欠損しているが、それでも放射線治療を控える理由はないことが今回のガイドラインから分かる。
- 相同組換え修復能を欠損しているBRCA1/2変異がん細胞において、一本鎖切断修復経路を阻害するPARP阻害剤を投与すると、がん特異的に合成致死が誘導されるということが、十数年前から生物学的にも着目されてきた。今回のガイドラインでも臨床におけるこの治療の有効性が示された。また、白金製剤は、DNA架橋を作ることによってがん細胞を死滅させることを原理とする抗がん剤である。DNA架橋があると、DNA複製が進まず、やがてDNA二本鎖切断が生成される。その修復において、相同組換え修復が重要な役割を果たすことが知られてきた。したがって、今回のガイドラインで示されたBRCA1/2変異乳がんにおける白金製剤の有効性も、これまでの生物学的知見と一致するものである。
- ゲノム医療の進展により、臨床検体におけるBRCA1/2, TP53, PALB2, CHEK2,ATMなどのDNA損傷応答・修復遺伝子の変異はより多く検出されるようになる。その変異の情報をがん治療に確実に活かすためにも、今後、基礎生物学と臨床でのエビデンスの蓄積がますます重要になるであろう。
(生物部会・学術WG 細谷 紀子)