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日本放射線腫瘍学会生物部会

会員の訃報

井上武宏先生を偲んで:親友、後輩として

2010年04月22日

大阪大学大学院医学研究所 医用物理工学講座
手島 昭樹

突然の悲しい別れに、「言葉もない」というのが率直な気持ちであった。先生と共に過ごした時間を親友、後輩として振り返りたい。この気持ちは自分中での先生という存在の投影であるので、偏った見方もあるかもしれないのでご容赦願いたい。経歴、業績は学会追悼文に紹介されているので参照いただきたい。

先生は私がまだ研修医をしていた頃、既に全国規模の学会で放射線治療のホープとして華々しく活躍していた。論旨明快でエネルギッシュな講演はとても印象的であった。私自身は阪大の故重松教授に憧れて異動した。大学での研修、研究生生活の後、大阪府立成人病センターへ異動し、井上俊彦先生(阪大名誉教授)の指導を受けることになった。この異動を強く勧めてくれたのが大学に戻ってきた先生であった。井上俊彦先生については厳しい指導をされるという以上の情報を持ち合わせていなかったが、先生から素晴らしい指導内容を具体的に教えてもらって即断した。実際、本当にその通りで幸運であった。両先生との出会いを改めて深く感謝している。同センターにいても、大学や関連病院在職中の先生から、いつも優しく声をかけてもらった。学会出張などでは、何でも博学で一緒にいると楽しい時を過ごさせてもらった。思い出深いのは、バンコクで開催されたアジア・オセアニア婦人科腫瘍学会に一緒に参加した後に、阪大に留学されていたチェンマイ大学医学部長Lorvidya先生を訪問し、3人で民族舞踊を踊ったりして楽しく過ごしたことである。そんな先生も情報がたまに間違っていて一緒に痛い目にあったが、懐かしい思い出である。阪大に戻ってからは、共に過ごす時間は長くなかったが、今まで医学科、保健学科教授の立場でずっと助け合ってきた。学内外委員会、学会、がんプロフェッショナル養成プラン、医師・技師会議、外国人研究者招聘など、枚挙にいとまがない。これらがうまくいったのも先生の優れた人柄とコミュニケーション能力による。先生はどちらかというと突っ込みを入れるのが得意で、論理的に厳しい指導ももらった。医学科教授としての在任期間は5年間と短かったが、放射線治療学教室のインフラを各方面に精力的に働きかけて大きく改善した手腕は相当なものであった。最近ではがんプロ医学物理士コースの教育にも深い関心を示してくれ、多数の卒業生を医学物理士として新設の病院医学物理室に教員や大学院生として迎えてもらった。ただ保健学科入学時に物理を選択しない学生が半数もいることを嘆いていた。また附属病院での実習の受け入れで生物研究を指向している学生を排除しようという時期があったので、少し対立した。米国ではbiomedical engineeringが重要になっており、生物学専攻学生の排除は偏狭であると主張したが、頑なであった。現在、理学部での物理教育を学部4年、がんプロ1年〜2年にかけて受講させ、先生の主張にも配慮している。本部会幹事をされていたが、先生はどうも生物よりも物理が好きなようであった。

阪大やわが国の放射線治療発展のためにやり残した仕事があったに違いない。それを想うと残念でならない。一方、先生は最後に「人生は長くない。その瞬間を大切に生きるように。」という強烈なメッセージを遺してくれたような気がする。昨年から「90分講義がしんどい。」と漏らしており、気になっていた。「保健学科は2コマ連続講義やけどそこまで疲れんよ。」と言うと、「先生は手を抜いてるんやろ。」と突っ込まれた。たまにはこっちから「ちゃんと専門医を受診したら。」と思い切り突っ込んでやれば良かったと悔やまれる。                           
合掌。

井上武宏先生(大阪大学大学院医学系研究科放射線治療学教室・教授)は、平成22年4月16日にご逝去されました。日本医学放射線学会生物部会に於いては幹事として多大なご功労を賜りました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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